平成21年5月度 広布唱題会の砌
於 総本山客殿
(大日蓮 平成21年6月号 第760号 転載)
皆さん、おはようございます。
本日は、総本山における五月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
皆様方には、本年「正義顕揚の年」に当たり、御命題達成へ向けて日夜、御精進のことと存じ上げます。
さて、法華経の勧持品第十三を拝しますと、八十万億那由佗の菩薩が釈尊滅後に十方世界の弘通を誓って、三類の強敵が競い起ころうと、衣座室の三軌によって、
「我身命を愛せず 但無上進を惜む」(法華経377㌻)
との誓願を「二十行の偈頌」にして明かされております。
すなわち、滅後末法に法華経を弘通する行者には三類の強敵が競い起こることが明かされているわけでありますが、三類の強敵とは、一つに俗衆増上慢、二つに道門増上慢、三つに僣聖増上慢であります。
俗衆増上慢というのは、法華経の行者を悪口罵詈し、刀杖等をもって害を加えたりする、仏法に無智な在俗の人々のことであります。
道門増上慢というのは、慢心で邪智に富み、いまだ得ていない仏道を得たと称し、法華経の行者を迫害する宗教者、つまり道門のことであります。
僣聖増上慢というのは、聖者のように装い、社会的に尊敬を受けているが、内面では私利私欲に執し、悪心を懐いて、法華経の行者を怨嫉し、誹謗・迫害する宗教者や権力者で、権力を利用して流罪・死罪にまで迫害を及ぼす者を言うのであります。
大聖人は『開目抄』に、
「日蓮一人これをよめり」(御書541㌻)
と仰せの如く、三類の強敵による大難を身口意の三業にわたって読まれ、松葉ケ谷の法難、伊豆・伊東の配流、小松原の法難、竜の口の法難など未曽有の大難を受けながら、末法の御本仏としての御境地を開顕されたのであります。
そこで、改めて三類の強敵が説かれている二十行の偈について、お経文を見ますと、そこには今時、我々が折伏を行ずるに当たって心得なければならない大事なことが多々説かれているのであります。よって今、二十行の偈のなかで大事なところを要点的に、かつ解りやすく紹介したいと思います。
まず、滅後の弘教について、菩薩達は仏様に対し、「もし仏様が私達にこの経を受持し、説教せよと命ぜられるならば、仏の教えられるままに、広くこの教を伝えましょう」と決意するのであります。
そこで、それぞれの菩薩達が覚悟のほどを語るのが、いわゆる二十行の偈であります。すなわち、
仏様がこの世を去られたのちに、末法悪世のなかで、我らは広くこの法華経を説いてまいります。
仏法に無智な人達が我々に対して、悪口し、ののしり、刀で切りつけ、杖で打ってきても、我らは皆、耐え忍びます。これが俗衆増上慢であります。
悪世のなかの比丘は邪智であり、心にこび、へつらいがあり、いまだ悟りを得ていないのに得たと思い込み、自分だけの小さい考えに執われて、わがままな心が充満しています。これが道門増上慢です。
あるいは、人里離れた林のなかで、檻繍をつなぎ合わせた衣、これは糞掃衣と申しますが、その衣をまとい、静かな場所にいて、自分では真実の道を修行しているのだと思い込んで、人を軽んじ、賎しめている者がいます。これが僣聖増上慢であります。
これらの増上慢の者達は、常に大勢の人々のなかで私達を毀ろうと思い、国王や大臣、バラモンや在家の人々に、さらには他の比丘達に向かって、いつも大勢のなかで私達を非難します。
末法悪世には多くの恐怖があり、悪鬼がその身に入った者達は、私達を罵倒し、非難し、辱めるでしょう。
しかし、我らは仏様を敬い、信じているから、忍辱という鎧を身に付けて、この経を説くために、あらゆる難事を忍びます。
我らは自らの身命を愛することなく、ただ無上道のみを惜しみます。これが「我不愛身命 但惜無上道」ということであります。我らは末法において、仏様から託されたことを大切に守ります。
濁悪に満ちた末世の悪比丘、つまり増上慢の者達は、仏が方便によって相手に応じて説かれた教えを知らずに、法華経の信仰者に対して、悪口して眉をしかめ、しばしば塔寺から追放することでしょう。
しかし、我々は仏の御命を心に思う故に、このような諸々の悪をも忍びます。
多くの村や都市で法を求める者がいれば、我々は皆、その所に赴いて、仏様の教えを説きます。
我らは仏の使いであるから、大勢の人々のなかにおいても、何も畏れるところはありません。私達はよく仏様の教えを説くでありましょう。
願わくば仏様よ、どうか私達の心をお解りくださいますように。
と、このように菩薩達は仏様に誓うのであります。
以上が二十行の偈の内容でありますが、たしかに私達が折伏に行きますと、大勢のなかで非難されたり、悪鬼がその身に人ったような人々、つまり「悪鬼入其身」の者達は私達を罵倒し、非難し、辱めることがあります。そのほか、様々な悪口雑言、いやがらせ、非難中傷、迫害を加え、時には暴力を振るうこともあります。
しかしながら、経文に示されているように、これらの非難中傷、迫害を乗り越えていくところに即身成仏の本懐を遂げることができるのであります。
経文には、いかなる困難が惹起しようが、忍辱という鎧を身に付けて、自らの身命を愛することなく、ただ無上道のみを惜しみ、仏様から与えられた広布の使命に生き、あらゆる難事を忍ぶことが大事であると仰せであります。
また、偈文の最後のほうには、
「我は是れ世尊の使なり 衆に処するに畏るる所無し 我当に善く法を説くべし」(法華経378㌻)
とあります。
まさしく、三類の強敵を身をもってお受けあそばされた大聖人様がそうであったように、我らもまた、仏様の使いとして折伏を行ずることに、なんら恐るることなく、毅然として広布の使命に生きることが肝要であります。
もちろん、我らが何もしなければ三類の強敵も、魔も競い起きてきません。しかし、それでは我々の罪障消滅も、成仏も、広宣流布も達成することはできません。
特に本年は『立正安国論』正義顕揚七百五十年の記念すべき大事な年であります。「七万五千名大結集総会」をはじめ「地涌倍増」の御命題達成へ向けて僧俗一致の戦いをしていけば、必ず三類の強敵をはじめ、あらゆる魔が競い起こることは必定であります。
大聖人様は『兄弟抄』に、
「魔競はずば正法と知るべからず」(御書986㌻)
と仰せであります。様々な難事が起き、魔が起きるのは正しい信心をしているからであります。また『御義口伝』には、
「末法に於て今日蓮等の類の修行は、妙法蓮華経を修行するに難来たるを以て安楽と意得べきなり」(御書1762㌻)
と仰せであります。
末法においては、正しい信心をしている者には様々な難事が襲いかかってきますが、難が襲ってきた時、あるいは障魔が競い起きた時こそ、我々の信心が試されている時なのであります。
このような時こそ、「難来たるを以て安楽と意得べきなり」との御金言を胸に、「我不愛身命 但惜無上道(我身命を愛せず 但無上道を惜しむ)」、この強盛な信心に徹すべきであります。
「法華経は仏説なり、仏智なり。一字一点も深く信ずれば我が身即ち仏となる」(御書1365㌻)
との御金言を深く信じて、我々はいかなる難事も、障魔も、大御本尊様への絶対の確信をもって題目を唱え、自行化他の信心に徹して乗り越えていくことが大事であり、これが我々の一生成仏につながるのであります。
『御義口伝』には、
「此の法華経を持つ者は難に値はんと心得て持つなり。されば則為疾得無上仏道の成仏は、今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る是なり云云」(御書1755㌻)
と仰せであります。「則為疾得無上仏道」とは、「則ち為れ疾く無上の仏道を得たるなり」と読みます。これは法華経の見宝塔品第十一の御文であります。
すなわち、滅後末法において妙法蓮華経を信受することによって、速やかに無上仏道、つまり成仏の境地を得ることができるとの意でありますが、「疾得」とは速やかに仏果を得ることであります。速疾頓成と同じ意味でありまして、即身成仏と同義であります。
つまり、我ら本宗僧俗がいかなる難にも屈せず、臆せず、たじろがず、堂々と妙法を唱え、自行化他にわたる信心に励むことによって、我ら凡夫がそのまま即身成仏の本懐を遂げることが必ずできると、このように仰せられているのであります。
『椎地四郎殿御書』には、
「大難来たりなば強盛の信心弥々悦びをなすべし。火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや。大海ヘ衆流入る、されども大海は河の水を返す事ありや。法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども、かへす事とがむる事なし。諸河の水入る事なくば大海あるべからず。大難なくば法華経の行者にはあらじ」(御書1555㌻)
と仰せであります。
どうぞ、皆様にはこの御金言をしっかりと胸に刻み、七万五千名大結集総会をはじめ地涌倍増の御命題達成へ向けて、いよいよ御精進をいただきたいと思います。
本年、既に四月中に、本年度に立てた折伏誓願を達成した支部が何力支部かあります。大阪府守口市の覚仁寺所属の正義講支部、そしてまた富山市の妙顕寺支部、石川県白山市の最教寺支部、そして茨城県土浦市の本妙寺支部などは、既に四月二十八日の宗旨建立の日以前に本年度の誓願を達成しております。
みんなが本当に心を一つに合わせて、どんな難事をも恐れずに折伏を行じていけば、誓願は必ず達成できるのであります。
そして、これらの支部には特微があります。それは、どの支部も動いているということであります。机の上で考えているのではなくして、身体を動かして戦っている支部であります。成果を挙げた支部は、すべてそうであります。
つまり、仏法は実践であります。体験をとおして功徳を得るわけでありますから、皆様方におかれましても、どうぞこれらの支部を見習って、本年の誓願を必ず達成していただきたいと思います。
また、七月の七万五千名大結集総会にはこぞって参加されますよう、心からお祈りいたしまして、本日の挨拶といたします。
日蓮正宗公式HP

