日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

法華経は仏自らの悟りゆえ難信難解

正林寺御住職指導(R4.7月 第222号) 

 灼熱の日差しが毎日のように降りそそいでいます。焼けつくように熱い最中でも自行化他は欠かせない、日蓮正宗の仏道修行であります。その中でも工夫してできる自行化他はあります。毎年のように7月中は唱題行の月になりますが、灼熱の中でも行います。まさに「此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり」(御書403)であります。

 さて、7月に入り本年の折り返し地点が過ぎました。後半戦では、本年度の折伏誓願目標達成に向けた、さらなる前進が求められ、前半戦での反省点も挽回すべき後半戦となります。
 講中の個々人に立ち塞がる様々な障魔を悉く粉砕する信行が不可欠であります。一人ひとりは顔や声が異なるように、障魔も十人十色でしょう。当然ながら罪障にも個人差はあります。障魔は、その人が粉砕して罪障消滅すべき一生成仏へと確実に向かうための信心修行となります。自行化他の題目によって粉砕しない限り、「但名のみ之を仮りて(中略)信心薄き者」(御書751)、つまり未来世に罪障は持ち越すことになり、今世で消滅させきることが大事であります。
 そのためにも御法主日如上人猊下は、
「魔が競い起きた時こそ、信心決定の絶好の機会と捉え、一人ひとりが妙法受持の大功徳を確信して、決然と魔と対決し、粉砕していくことが大事であります。」(大日蓮 第916号 R4.6)
と御指南です。

 一切衆生は障魔を粉砕し罪障消滅されて絶対的幸福境界を体得するために、宗祖日蓮大聖人は、『立正安国論』に仏国土実現の方途を説かれました。『立正安国論』は文応元(1260)年7月16日、大聖人御年39歳に、宿屋光則を通して、鎌倉幕府の最高権力者・五代執権の北条時頼(最明寺入道)に対して奏呈された国主諌暁の書であります。
 『立正安国論』は、持つ法第一ならば、持つ人も第一となる信心に立脚していくようにとの、大慈大悲による折伏書であると拝します。法華経は仏自らの悟りゆえ難信難解であるために、法華経を聞いて受け付ける人は多くいても、理解し納得して本当に聞き入れる人は希であり、さらに罪障消滅の現証となる大難が来ることで、持つ法第一ならば、持つ人も第一となる信心を続ける人は、爪上の土の如くに希少であります。

 大聖人は『四条金吾殿御返事』に、
「此の経をき(聞)ゝう(受)くる人は多し。まことに聞き受くる如くに大難来たれども『憶持不忘(おくじふもう)』の人は希(まれ)なるなり。受くるはやす(易)く、持つはかた(難)し。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値(あ)ふべしと心得て持つなり。」(御書775)
と仰せであります。まさに、「憶持不忘」の人は希であり、受けることは容易く、持つことは難しい現実があります。法華経は仏自らの悟りゆえ難信難解である理由となります。難信難解とは信じ難く理解し難いという意味であります。この灼熱禍中では、障魔となり難信難解にさらなる拍車をかけています。

 釈尊は法華経の『法師品第十』に、
「而も此の経の中に於て 法華最も第一なり 爾の時に仏、復、薬王菩薩摩訶薩に告げたまわく、我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も為れ難信難解なり。薬王、此の経は、是れ諸仏の秘要の蔵なり。分布して、妄りに人に授与すべからず。諸仏世尊の守護したもう所なり。昔より已来、未だ曽て顕説せず。而も此の経は、如来の現在すら、猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや。」(法華経325)
と説かれました。三説(已今当)超過の法華経は人々の機根にかかわらず、仏自らの悟りをそのまま説き明かされた「随自意(※仏が自らの意に随う意味)」の教えのため難信難解であります。
 大聖人は『新池殿御消息』に、
「法華経は随自意なり(中略)一字一点も深く信ずれば我が身即ち仏となる」(御書1365)
と仰せのように、たとえ難信難解であっても、強盛な信心をもって仏道修行に励むことで、自身の成仏を確たるものとすることができ絶対的幸福を得ることになります。
 難信難解な法華経を正しく理解するために、第二十六世日寛上人は『法華題目抄文段』に、
「信とは(中略)随順の義なり」(御書文段654)
と仰せのように、日蓮正宗は日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、その教えに随順して出世の本懐に在す本門戒壇の大御本尊を信じて自行化他の唱題に励み、その功徳により、過去の罪障を消滅して、未来永劫の福徳を積むと同時に一生成仏が叶う教えであると知ることです。
 釈尊も法華経の『譬喩品第三』に、
「此の経に随順す 己が智分に非ず」(法華経175)
と説かれ、法華経に随順する事が条件となります。あれこれと考えずに、おとなしく従う必要性、従ってさからわないことを心得て、自分の知恵・知力・経験値で判断してはならないこと、ゆえに「余行を交へばゆゝしき僻事なり」(御書1707)と誡められています。つまり、以信得入(信を以て入ることを得たり)により、仏の深い悟りを体得することができます。また、寸心を改めることによります。そして師弟相対した信心により確立されていきます。まさしく、信伏随従の信心です。

 随順の反対は、『唱法華題目抄』に、
「謗法と申すは違背(いはい)の義なり。随喜と申すは随順の義なり」(御書221)
と仰せのように、違背であり謗法となります。まさに十四誹謗を誡めていくことであります。時として自分の知恵・知力・経験値は違背の義と表裏一体ともなりえる我見であるため、自身の考え方を振り返り仏の金言に随順することが大切であります。
 我見により、心の病・謗法の病が生じることを、第六十七世日顕上人は、
「我々一人ひとりの心には病があります。心の病、これは謗法の病であり、そこから生ずるところの様々な悩み、苦しみはことごとく自分の心のなかの我意、我見、邪見等によって起こってきておるのであります。したがってその心の病を良薬によって治療する、治していくということが最も大切であります。」(大日蓮 第718号 H17.12)
御指南であります。

 法華経は仏自らの悟りゆえ難信難解の教えを体得するための「キーワード」があります。(※キーワードは以下「」で表示)

 本年は「報恩躍進の年」であります。同時に灼熱の禍中でも「大前進の時」と心得て「勇敢な信行」のもとに「広布を目指して」「より大きく」「活路」を見いだすことであります。まさに、妙法受持の大功徳を確信して、決然と魔と対決し、粉砕していくための準備であります。
 そして「人の振る舞い」としては「率先垂範」を心がけ、三毒の愚癡などは控え目に「誉めること」を優先して「雰囲気」を大事にすることであります。
 その振る舞いを化他行である「一人が一人の折伏」により「人を幸せにしていこう」という「確信と誇りを持つ」ことに「命運をかける」ことであります。
 以上の条件下により「功徳を積むこと」ができ「実証」が「思いがけない」果報として顕現されることを確信することであります。
 地涌の菩薩の眷属である「因縁に連なる」信心を自覚して、それは有り難いことであり「良かった」と思えるよう「悔いなきように」「何としてもやりきっていくぞ」との一念心が肝要であります。
 そのためにも「じっくりと」「七月の唱題行」においては、「6・7・8月」の過去・現在・未来の三世の「見直しをはかる」日々の信行が不可欠であります。その因果応報陰徳陽報により「仏法は体、世間は影」(御書1469※取意)との法界をも動かし、灼熱の禍中を払拭させきる力用があることを確信すべきであります。
 以上のような「キーワード」を意識して日々の信行に邁進するところに、法華経は仏自らの悟りゆえ難信難解であっても体得できる仏縁となるはずであります。そして、「境界を開く」ことができ「本当の決意をすれば全て叶う」との無疑曰信が大事であります。

 最後に、御法主日如上人猊下は、
「今、末法は謗法が充満し、ために多くの人々が知らず知らずのうちに悪縁に誑かされ、邪義邪宗の害毒によって不幸の境界から脱することができずにいます。こうした人々を救済していくためには、正像過時の如き摂受ではなくして、破邪顕正の折伏をもってするのが最善の方途であり、折伏こそ末法の一切衆生救済の最高の慈悲行であります。
 なかんずく、昨今の新型コロナウイルス感染症による騒然とした国内外の様相を仏法の鏡に照らして見る時、その根本原因は邪義邪宗の謗法の害毒にあることを知り、今こそ私どもは全力を傾注して、一人ひとりの幸せはもとより、全人類の平和実現のため、一天四海本因妙広宣流布を目指して、破邪顕正の折伏を決然として実践していかなければなりません。」(大日蓮 第917号 R4.7)
との御指南を心肝に染めて、灼熱の禍中でも7月の唱題行に精進しましょう。

 

宗祖日蓮大聖人『四条金吾殿御返事』に曰く、
「法華経の文に『難信難解(なんしんなんげ)』と説き玉ふは是なり。此の経をき(聞)ゝう(受)くる人は多し。まことに聞き受くる如くに大難来たれども『憶持不忘(おくじふもう)』の人は希(まれ)なるなり。受くるはやす(易)く、持つはかた(難)し。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値(あ)ふべしと心得て持つなり。『則為疾得(そおくいしっとく)無上(むじょう)仏道(ぶつどう)』は疑ひ無し。三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持つとは云ふなり。」(御書775)