日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

下種三宝尊を重んずる大切さ

新池御書(新編1457頁4・全集1440頁3)

 皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が、中程は信心もよは(弱)く、僧をも恭敬(くぎょう)せず、供養をもなさず、自慢して悪見をなす。これ恐るべし、恐るべし。始めより終はりまで弥信心をいたすべし。さなくして後悔やあらんずらん。譬へば鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩(あゆ)みをはこびて、今一日に成りて歩みをさしをきては、何として都の月をば詠(なが)め候べき。何としても此の経の心をしれる僧に近づき、弥(いよいよ)法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし

新池御書(新編1461頁5・全集1443頁18)

 末代の衆生は法門を少分をこゝろえ、僧をあなづり、法をいるが(忽)せにして悪道におつべしと説き給へり。法をこゝろえたるしるしには、僧を敬ひ、法をあがめ、仏を供養すべし。今は仏ましまさず、解悟の智識を仏と敬ふべし、争でか徳分なからんや。後世を願はん者は名利名聞を捨てゝ、何に賤(いや)しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし。是正しく経文なり

四恩抄(新編268頁7・全集938頁11)

 僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によりて住す。譬へば薪(たきぎ)なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず

●顕謗法抄(新編279頁8・全集448頁5)

 仏宝を破るが故に、法宝を破るが故に、僧宝を破るが故に。三宝を破るが故に則ち世間の正見(しょうけん)を破す。世間の正見を破れば○則ち無量無辺阿僧祇(むりょうむへんあそぎ)の罪を得るなり

●一代五時図(新編494頁17・全集617頁6)

 謗法は一業引多生なれば、一度三宝を破すれば度々悪道に堕するなり

●真言見聞(新編608頁2・全集142頁2)

 凡(およ)そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。是(これ)涅槃経の文なり。爰(ここ)を以て法華経には「則ち一切世間の仏種を断ず」と説く。是を即ち一闡提(いっせんだい)と名づく

●光日聖人御返事(新編1566頁2・全集933頁12)

 経と仏と僧との三宝誹謗の大科によて、現生には此の国に修羅道を移し、後生には無間地獄へ行き給ふべし

●当流行事抄(六巻抄194頁12・富要3巻212頁8学会版)

 文上脱益の三宝に執せず、須く文底下種の三宝を信ずべし。是れ則ち末法適時の信心なり。

●当流行事抄(六巻抄195頁4・富要3巻212頁12学会版)

 結要付嘱豈僧宝に非ずや

●当流行事抄(六巻抄196頁12・富要3巻213頁15学会版)

 久遠元初の仏宝豈異人ならんや、即ち是れ蓮祖大聖人なり。五百塵点の当初より已来「毎に自ら是の念を作さく、何を以てか衆生をして無上道に入ることを得て、速かに仏身を成就せしめん」と。此の大悲願力を以て則ち末法に出現し、自ら身命を惜しまず此の大法を授与す。此くの如き大慈悲心、豈末法の仏宝に非ずや。
 久遠元初の法宝とは、即ち是れ本門の大本尊是れなり。「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」と。「我が滅度の後に於て、応に斯の経を受持すべし。是の人仏道に於て、決定して疑い有ること無けん」云々。此くの如き大恩、香城に骨を摧き雪嶺に身を投ぐとも寧ろ之れを報ずるを得んや。
 久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり。仏恩甚深にして法恩も無量なり。然りと雖も若し之れを伝えずんば則ち末代今時の我等衆生、曷ぞ此の大法を信受することを得んや。豈開山上人の結要伝授の功に非ずや。然れば則ち末法出現の三宝、其の体最も明らかなり。宜しく之れを敬信して仏種を植うべし云々。

●当家三衣抄(六巻抄225頁2・富要3巻237頁14学会版)

 一百八箇は即ち百八煩悩を表するなり、数珠は須臾も身を離る可からず、故に常自随身と云うなり。
 南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
 南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大本尊。
 南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師
 此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし。


※「5.『当流行事抄』と『当家三衣抄』の僧宝の立て方の違い」を参照下さい。