日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

十三、宗門では「御本尊には法主による開眼が必要だ」と主張しているが、これは根拠のないものではないか

 宗祖日蓮大聖人や日興上人のお書きものの中に、「開眼供養」について御教示されたものが何編かあります。それらの御教示には、いずれも開眼の意義とその必要性が明かされています。

 しかし、御本尊の書写や開眼についての御教示は、相伝にかかわることですから、日蓮大聖人の御書や歴代上人の御記述においてもその数が少ないのは当然といえます。
 そのなかで、第三十一世日因上人の『御消息』には、
 「木絵の二像は本と草木にて有り、然るを生身の妙覚の仏と開眼したまふ事は大事至極の秘曲也。日蓮聖人乃至日因に至る迄、三十一代累も乱れず相伝是也」(妙喜寺文書)
とあり、第五十六世日應上人は、
 「金口血脈には、宗祖己心の秘妙を垂示し一切衆生成仏を所期する本尊の活眼たる極意の相伝あり」(研教二七―四七四㌻)
と御指南されています。これらの御教示からも、御法主上人による御本尊の開眼が本宗宗義の肝要の大事であることは明らかです。


第六章 十四、宗門には「僧が上、俗は下」という僧俗差別観があるのではないか