日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

九、「五十二年教義逸脱問題」とは、どのようなものだったのか

 池田は、正本堂建立を機に宗門に根強い反感を抱くと同時に、「学会は主、宗門は従」との本末転倒の考えをもとに、宗門支配を画策し、宗門に対してさまざまな圧力を加え始めました。
 昭和五十二年には、学会に批判的な僧侶に対する吊るし上げを次々と行い、公然と宗門批判・僧侶否定の指導をするようになりました。
 このように創価学会は、日蓮正宗の教義信仰から次第に逸脱し、ついには御法主上人の許しを得ることなく、紙幅の御本尊を勝手に板御本尊に模刻するという大謗法を犯すに至りました。これがいわゆる創価学会の「五十二年教義逸脱問題」です。このときの教義逸脱の主なものは、
 ○創価仏法の原点は、戸田会長の獄中の悟達にある
 ○途中の人師論師は無用である(唯授一人の血脈否定)
 ○『人間革命』は現代の御書である
 ○池田会長は主師親三徳具備の大導師である
 ○寺院は単なる儀式の場、会館は広布の道場である
 ○供養は在家でも受けられる
などです。
 なお、当時、創価学会が宗門支配、もしくは分離独立をひそかに画策していた事実は、側近幹部が池田へ提出した次の報告書に明らかです。
 『山崎・八尋文書』(昭和四十九年四月)
 「一つは、本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がふりかからない範囲で、(中略)いつでも清算できるようにしておく方法であり、いま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて背後を固めるという方法です」
 『北条文書』(昭和四十九年六月)
 「長期的に見れば、うまくわかれる以外ないと思う」
 「やる時が来たら徹底的に斗いたいと思います」


第一章 十、「五十二年教義逸脱問題」は、どのような形で収束したのか