日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

五月五日は蓮の一字のまつりなり

正林寺御住職指導(H30.5月 第172号)  

 

 毎年むかえる五月五日は端午の節句と言われ、日本では男子の健やかな成長を祈願し、各種の行事を行う風習があり、鯉のぼりを立てるなど、国民の祝日「こどもの日」になっています。

 当宗においては、宗祖日蓮大聖人が『秋元殿御返事』に、
「五月五日は蓮の一字のまつりなり、午を以て神とす。」(御書334)
と仰せであり、妙法蓮華経の蓮の一字のまつりであることを御教示です。
 この「蓮の一字のまつりなり」との御言葉を心肝に染めて、令法久住・広宣流布への法統相続を見直す大事な日になるでしょう。
 法統相続には少年部の育成をはじめ、家族や親戚縁者の子供で、未入信の子への折伏、信心を見直す大切な日ともなります。それが当宗における、化他行の観点から健やかな成長を祈願する意味になります。

 そして平成三十年は「行動の年」です。法統相続と未入信の子供への折伏を見直すだけに止まることなく、行動を起こして子供への育成が実現するように精進することが必要です。

 この「蓮の一字」には、仏が具えている十八種の徳があります。大聖人は『十八円満抄』に、
「十八円満の法門の出処如何。答へて云はく、源(みなもと)蓮の一字より起これるなり。」(御書1513)
と仰せであり、十八の円満には蓮の一字を源とする徳が完全に具足しているという意味があります。
 また同抄に、
「伝教大師の釈に云はく『次に蓮の五重玄とは、蓮をば華因成果の義に名づく。蓮の名は十八円満の故に蓮と名づく。』」(御書1513)
と、伝教大師の修禅寺相伝日記に釈されていることを御教示であります。
 十八円満の名目について同抄には、
「一に理性円満、二に修行円満、三に化用円満、四に果海円満、五に相即円満、六に諸教円満、七に一念円満、八に事理円満、九に功徳円満、十に諸位円満、十一に種子円満、十二に権実円満、十三に諸相円満、十四に俗諦円満、十五に内外円満、十六に観心円満・十七に寂照円満、十八に不思議円満已上。」(御書1513)
と仰せであります。

 具体的に十八円満とは、同抄の修禅寺相伝日記において、詳細が説かれています。

①理性円満
 万法はことごとく真如法性の実理に帰するのである。実性の理に万法が円満している、故に理性を指して蓮というのである。

②修行円満
 有相・無相の二行を修行することによって万行が円満する、故に修行をさして蓮というのである。

③化用円満
 心性の本理に諸法の因分が有り、この因分によって化他のはたらきを具する、故に化用をさして蓮というのである。

④果海円満
 諸法の自性をたずねてことごとく本性を捨てて、無作の三身を成ずるのである。法として無作の三身でないことはない、故に蓮というのである。

⑤相即円満
 煩悩の自性が全く菩提にして一体不二の故に蓮というのである。

⑥諸教円満
 諸仏の内証の本蓮に諸教を具足して更に欠けることがない、ゆえに蓮というのである。

⑦一念円満 
 根塵相対して一念の心が起きてくるときに三千世間を具する故に、一念をさして蓮というのである。

⑧事理円満
 一法の当体が而二不二にして欠けることがなく具足する故に、事理をさして蓮というのである。

⑨功徳円満
 妙法蓮華経に万行の功徳を具足して三力(法力・仏力・信力)の勝能がある故に、功徳をさして蓮というのである。

⑩諸位円満
 ただ一心を読む時に六即が円満なる故に、諸位をさして蓮というのである。

⑪種子円満
 一切衆生の心性に本より成仏の種子を具しているのである。権教は種子円満でないゆえに、皆成仏道の旨を説かない、故に蓮の義がないのである。

⑫権実円満
 法華経の義が実証されたときには実に即して権、権に即してしかも実であり、権実相即して欠けることがないゆえに、円満の法にして既に法報応の三身を具する故に、諸仏は常に法を演説するのである。

⑬諸相円満
 一々の相の中に皆八相を具して一切の諸法は常に八相を示すのである。

⑭俗諦円満
 十界・百界ないし三千の本性が常住不滅なのである。本位を動かすことなく、当体即理の故に、俗諦をさして蓮というのである。

⑮内外円満
 非情の外器のうちに内の六情を具している。有情の中にまた非情を具しているのである。余教は内外円満を説いていない、故に草木成仏することはできないのである。草木非成仏の故にまた蓮と名づけないのである。

⑯観心円満
 六塵六作において常に心相を観ずるのであり、全く余義によらないゆえに、観心を蓮というのである。

⑰寂照円満
 摩訶止観に「法性が寂然であることを止と名づけ、寂にしてしかも常に照らすことを観と名づけるのである(趣意)」とある。

⑱不思議円満
 詳しく諸法の自性をたずねてみれば非有非無にして諸の情量を絶して、また三千三観ならびに寂照等の相が無く、大分の深義が本来不思議なるが故に蓮とするのである。

 この十八円満の義をもってくわしく経の意を案ずるに、法華経の勝能ならびに観心の本義はまことに、この蓮の義によるのである。二乗・悪人・草木等の成仏ならびに久遠五百塵点などは蓮の徳を離れては余義はないのである。

と修禅寺相伝日記において、伝教大師は詳細に説かれていることを大聖人が御教示であります。

 大聖人が同抄に、
「総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給へ。智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき。所詮時々念々に南無妙法蓮華経と唱ふべし。」(御書1519)
と仰せのように、蓮の一字に具わる正理を修行して、名聞名利に着した智者・学匠にならないように誡められております。

 そして、第六十七世日顕上人は、
「『修善寺相伝日記』の引文は天台宗の奥義であるが、一心三観、一念三千の極理は所詮、像法弘通迹門為本の法門であり、それはことごとく本門の法体たる久遠の妙法五字より出たものであることを明記あそばされて、この『十八円満抄』を締結せられました。」(妙法七字拝仰 下巻216)
と御教示であります。 

 

 私たちは有難いことに、御本尊を信じて御題目の南無妙法蓮華経を唱えることにより、蓮の一字に具わる十八種の尊い徳を円満に積むことができます。故に六根清浄の功徳へとつながる尊い功徳を、無始以来の罪障を消滅しながら確実に積むことができます。
 さらに、その円満な徳を子供にも具わるようにと、祈念し育成することが、「蓮の一字のまつり」との教えから端午の節句には大切となります。

 五月五日の端午の節句は、男の子の健やかな成長を祈願しますが、大聖人は『上野殿御返事』に、
「男子は家をつぐ。日本国を知りても子なくば誰にかつがすべき。財を大千にみてゝも子なくば誰にかゆづるべき。」(御書1494)
と仰せのように、法統相続によるところの一往と再往において、さらには再往の総別においては肝要の大事な意義が元意に存すると拝します。

 その元意は、日蓮大聖人が隠し持たれてきた秘法を「つぐ」「つがすべき」「ゆづるべき」との深秘の相続が存します。当家の血脈相承である唯授一人の御相承において、上野殿である南条家に未来の内護外護を託された、重要な意義が存する御書と拝し奉ります。
 大聖人は『三沢抄』に、
「聖人は未萌を知ると申して三世の中に未来の事を知るをまこと(真)の聖人とは申すなり。」(御書1203)
と仰せであります。

 正しくそれは、第三祖日目上人、第四世日道上人、第五世日行上人、第六世日時上人、第八世日影上人、第九世日有上人は、南条家御出身の御法主上人です。
 さらに、日目上人の母・蓮阿尼(南条時光殿の姉)と、時光殿の妻・妙蓮の法号には「蓮の一字」の不思議な因縁があります。

 そして五月一日は総本山大石寺の大檀那である南条時光殿「大行尊霊」の祥月命日忌であります。まさに五月は、蓮の一字に具わる徳の一分、不思議円満を如実に物語る月と拝します。

 

 以上のことを心得て「五月五日は蓮の一字のまつりなり」との御書を、毎年むかえる五月五日には思い出されて、一生成仏をめざし自行化他に精進することが大切でしょう。


宗祖日蓮大聖人『諸法実相抄』に曰く、
「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ。あひ(相)かま(構)へて、あひ(相)かま(構)へて、信心つよく候ふて三仏の守護をかうむ(蒙)らせ給ふべし。行学の二道をはげみ候べし。行学た(絶)へなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし。」(御書667)