新年之辞
(大日蓮 令和8年1月号 第959号 転載)
立宗774年の新春を、宗内僧俗御一同には清々しく迎えられ、決意も新たに、愈々の精進をお誓いのことと存じます。
扨、本年「団結行動の年」は、全国の各講中共に仏祖三宝尊への御報恩のもと、僧俗一致・異体同心し、総力を結集して勇猛果敢に折伏を実践し、以って一天広布を目指して、大きく前進すべき誠に大事な年であります。
就中、昨今の騒然とした様々な現象等を見る時、その根本原因は『立正安国論』に、
「世皆(みな)正に背(そむ)き人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相(あい)去り、聖人所を辞して還らず。是(ここ)を以て魔来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難(なん)起こる。言(い)はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず」(御書234)
と仰せの如く、謗法の害毒によることは明らかであります。
去れば、斯くなる時こそ、私共は講中挙げて、不幸と混乱と破壊の元凶たる邪義邪宗の謗法を退治し、一意専心、折伏を行じ、妙法広布に全力を傾注していくことが肝要であります。
大聖人は『聖愚問答抄』に、
「時に正像末あり、法には大小乗あり、修行に摂折あり。摂受の時折伏を行ずるも非なり。折伏の時摂受を行ずるも失(とが)なり。然るに今の世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし。摂受の行は此の国に法華一純に弘まりて、邪法邪師一人もなしといはん、此の時は山林に交はりて観法を修し、五種六種乃至十種等を行ずべきなり。折伏の時はかくの如くならず、経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ(願口)誉れを擅(ほしいまま)にし、邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。此の旨を知らずして摂折途(みち)に違はゞ得道は思ひもよらず、悪道に堕つべしと云ふ事、法華・涅槃に定め置き、天台・妙楽の解釈にも分明なり。是仏法修行の大事なるべし」(御書402)
と仰せであります。
私共一同、この御金言を拝し、謗法の害毒によって重苦に責められ、苦悩されている多くの人々を一日も早く救済すべく、今こそ断固として折伏を行じていくことが肝要であります。
されば、
「誰人にても坐(おわ)せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音(こえ)も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」(御書673)
との御金言を拝し、講中一結・異体同心して果敢に大折伏戦を展開し、以って世の中の平和と全世界の人々の幸せを願って、愈々精進されますよう心から念じ、新年の挨拶といたします。
新年の辞
立宗七百七十四年の新春を寿ぎ奉る
(大白法 令和8年1月1日 第1164号 転載)
立宗774年の新春に当たり、宗内各位には清々しく新年を迎えられ、決意も新たに、愈々の精進をお誓いのことと存じます。
さて、本年「団結行動の年」は、全国の法華講中が、仏祖三宝尊への御報恩のもと、講中の総力を結集して勇猛果敢に折伏を実践し、以って一天広布を目指して、大きく前進すべき誠に大事な年であります。
『異体同心事』に、
「異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候。殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさ(軍)にまけぬ。周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ」(御書1389)
と仰せのように、講中一結・異体同心して、一意専心、妙法広布へ向けて前進する時は、仮令(たとえ)如何なる障魔が立ちはだかろうが、物ともせず、逞しく前進していくことができるのであります。
されば、各講中共に、僧俗一致・異体同心の団結を堅固にし、断固決然として破邪顕正の折伏を行じていくことが肝要であります。
『立正安国論』には、
「所詮(しょせん)天下泰平国土安穏は君臣の楽(ねが)ふ所、土民の思ふ所なり。夫(それ)国は法に依って昌(さか)え、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや。先ず国家を祈りて須(すべから)く仏法を立つべし」(御書244)
と仰せの如く、私共一同、妙法広布へ向けて、精進することこそ今最も肝要であることを自覚され、一天広布を目指し、愈々自行化他の信心に励まれますよう心から祈り、一言以って新年の辞といたします。
新年之辞
(妙教 令和8年1月号 第400号 転載)
立宗774年の新春を迎え、宗内僧俗御一同には、清々しく新年を迎えられ、決意も新たに愈々の精進をお誓いのことと存じます。
扨、本年「団結行動の年」は、全国の講中共に仏祖三宝尊への御報恩のもと、僧俗一致・異体同心し、総力を結集して勇猛果敢に折伏を実践し、以って一天広布を目指して、大きく前進すべき誠に大事な年であります。
特に今、末法濁悪の世相其の侭に混乱を極め、騒然とした国内外の状況を見る時、その根本原因が『立正安国論』に、
「世皆(みな)正に背(そむ)き人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相(あい)去り、聖人所を辞して還らず。是(ここ)を以て魔来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難(なん)起こる。言(い)はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず」(御書234)
と仰せられている如く、「世皆正に背き人悉く悪に帰す」故であること、即ち謗法の害毒によることを知らなければなりません。
去れば、斯くなる時こそ、私共は講中挙げて、不幸と混乱の元凶たる邪義邪宗の謗法を破折し、一意専心・妙法広布に全力を傾注していくことが肝要であります。
『法華初心成仏抄』には、
「末法の世には、無智の人に機に叶ひ叶はざるを顧みず、但(ただ)強ひて法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり。其の故は釈迦仏、昔不軽菩薩と云はれて法華経を弘め給ひしには、男・女・尼・法師がおしなべて用ひざりき。或は罵(ののし)られ毀(そし)られ、或は打たれ追はれ、一しなならず、或は怨(あだ)まれ嫉(ねた)まれ給ひしかども、少しもこ(懲)りもなくして強ひて法華経を説き給ひし故に今の釈迦仏となり給ひしなり」(御書1315)
と仰せであります。
私共一同、此の御金言を拝し、講中一結・異体同心の団結をもって、一意専心、勇躍として折伏を行じ、以って一天広布へ向けて、勇躍として前進していくことが肝要であります。
去れば、我等一同、改めて、
「とてもかくても法華経を強ひて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり」(法華初心成仏抄・御書1316)
との御金言を拝し、不幸と混乱と破壊の元凶たる謗法を破折し、以って妙法広布へ向けて愈々精進されますよう心から念じ、一言もって新年之挨拶といたします。
以 上
日蓮正宗公式HP
http://www.nichirenshoshu.or.jp/


