2005-11-01から1ヶ月間の記事一覧
「病は気から」という諺もありますように、気の持ちようによって、気の緩みから、病気は起こります。信心は、病にならないよう事前に心の準備を調えるものであり、また、すでに病になっていても、病から立ち直って御本尊様を信じ境界を高めることが信心です…
私達は、信心する上で御本尊様に「正座」をし「合掌」をすることが基本です。素朴な疑問ですが、信心に縁の薄い方には生まれる疑問ではないでしょうか。正座をし合掌するという姿勢は、気持ちを落ち着かせ冷静になる一番の方法です。「禅定」を得る近道であ…
30.家庭訪問の心得 31.日蓮大聖人の「御書」とは 32.邪宗・邪師の利根と通力に踊らされない信心を 33.諸天善神といわれる神の働き 34.神社に「悪鬼神」が住み着いています 35.寺院の意味とは 36.思春期という心の葛藤を乗り越えるには …
日蓮大聖人は『教行証御書』に、 「雑言(ぞうごん)・強言(ごうごん)・自讃気(じさんげ)なる体(てい)、人目に見すべからず、浅猿き事なるべし。弥身口意を調へ、謹んで主人に向かふべし、主人に向かふべし」(御書1110) と主人に向かう折伏の姿…
「御書」とは書の尊敬語で、御妙判(ごみょうはん)ともいいます。日蓮大聖人が私達に残された、成仏するための教えが説かれた書物です。 第二祖日興上人は『富士一跡門徒存知事』に、 「日興は聖人の御書と号して之を談じ之を読む」(御書1870) と仰せ…
『唱法華題目抄』に、 「通力をもて智者愚者をばしるべからざるか。唯仏の遺言の如く、一向に権経を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は、権経に宿習(しゅくじゅう)ありて実経に入らざらん者は、或は魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をた…
日蓮大聖人は「神」の守護について『四条金御殿御返事』に、 「魔訶止観(まかしかん)第八に云はく、弘決第八に云はく『必ず心の固きに仮(よ)って神の守り則ち強し』云云。神の護ると申すも人の心つよきによ(依)るとみえて候。法華経はよ(善)きつるぎ…
世間では、「神」の存在に対し様々な概念があります。「神」という言葉を知らない人は全くいないでしょう。しかし、「神」に対する存在については信じる信じないという意見があります。「神」を信じない人は無神論者として自分だけの智慧を頼りにし、その反…
「寺院」は御本尊様が在す修行の根本道場です。『百六箇抄』に、 「下種の弘通戒壇実勝の本迹 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」(御書1699) と仰せのように、日蓮正宗においては「寺院」を建立することが大事です。更に第二祖日興上人は…
「思春期」は人間誰もが迎える時期であります。一般的に十一歳~十二歳から十六歳~十七歳に迎えます。この「思春期」は心に生まれる様々な欲望や未来への期待感が活発化する時です。両親や人生において尊敬する先輩などからこの「思春期」の過ごし方をある…
勤行唱題は唯一、私達の性格を根底から変える修行です。持って生まれた性格は、過去世に自らが作り上げた人格です。その姿が今の自分自身となって現れています。育った環境と接した人により大きな影響を受け、一つの業として人格が出来ています。信心は、こ…
『御講聞書』に、 「今南無妙法蓮華経有れ共、今身より仏身に至るまでの受持を受けずんば、成仏は有るべからざるなり」(御書1843) と仰せです。御本尊様は有り難く、御題目の南無妙法蓮華経は素晴らしいと知っていても、「今身より仏身に至るまで」と…
三大秘法の御本尊様とは、インドの釈尊から、日蓮大聖人が外用の上行菩薩として受けられた秘伝の御本尊様です。法華経に付嘱された様子が説かれています。 この御本尊様は、日蓮正宗にしか伝わっていません。それが総本山大石寺に在す本門戒壇の大御本尊様で…
『持妙法華問答抄』に、 「只(ただ)須(すべから)く汝仏にならんと思はゞ、慢のはたほこ(幢)をたをし、忿(いか)りの杖をすてゝ偏(ひとえ)に一乗に帰すべし。名聞名利は今生(こんじょう)のかざり、我慢偏執(がまんへんしゅう)は後生のほだ(紲)…
『持妙法華問答抄』に、 「只(ただ)須(すべから)く汝仏にならんと思はゞ、慢のはたほこ(幢)をたをし、忿(いか)りの杖をすてゝ偏(ひとえ)に一乗に帰すべし。名聞名利は今生(こんじょう)のかざり、我慢偏執(がまんへんしゅう)は後生のほだ(紲)…
日蓮大聖人は『戒法門』に、 「勢至菩薩経に云はく『平形の念珠を以(もち)ふる者は此は是外道の弟子なり、我が弟子に非ず。我が遺弟(ゆいてい)は必ず円形の念珠を用ゆべし。次第を超越する者は因果妄語の罪に依って当に地獄に堕すべし』云云。此等の文意…
「法に依って人に依らざれ」という「依法不依人」は、釈尊が説かれた涅槃経の文です。日蓮大聖人は『開目抄』に、 「最後の御遺言に云はく『法に依って人に依らざれ』等云云。不依人等とは、初依・二依・三依・第四依。普賢(ふげん)・文殊(もんじゅ)等の…
日蓮大聖人は『始聞仏乗義』に、 「煩悩とは見思(けんじ)・塵沙(じんじゃ)・無明(むみょう)の三惑なり」(御書1208) と仰せのように三惑の名称について御教示です。三惑とは苦果を招き、仏道修行を妨げる三つの煩悩をいいます。三つの惑とは「見…
『御講聞書』に、 「仰せに云はく、世間法とは、全く貪欲(とんよく)等に染(せん)せられず、譬へば蓮華の水の中より生ずれ共(ども)、淤泥(おでい)に染まざるが如し。此の蓮華と云ふは地涌の菩薩に譬へたり。地と云ふは法性の大地なり。所詮法華経の行…
45.他宗他門を批判する理由は慈悲行から 46.信心は「発心」が大切です 47.一切衆生 悉有仏性 48.三類の強敵に屈しない信心を 49.御題目の南無妙法蓮華経について 50.横難横死は正法誹謗の罪障 51.生活を煩わす「煩悩」 52.六道輪廻…
日蓮正宗が他宗他門を批判する理由は、間違った教えに依って不幸になり地獄に堕ちるからであります。そのため、折伏という修行が日蓮正宗にあります。 これは単なる批判ではなく、仏様の教えに随った「慈悲行」です。他宗他門で主張する教え・教義は一見最も…
「発心」とは、菩提心を起すこと。また一般に、あることをしようと思い立つこと。発意。発起という意味があります。信心は自らの「発心」が無ければ実りませんし、当然成仏もできません。 「発心」は信心以外にも、世の中のあらゆることに必要な心構えです。…
「一切衆生 悉有仏性」は涅槃経に説かれる文証です。一切衆生に悉く仏性有りと読みます。一切衆生は本来、仏性を具えているという意味です。信心をすれば、心の中に眠っていた「仏性」、仏様の命が蘇ります。 「仏性」とは、仏の性分で仏果を得るための因と…
世の中には、日蓮正宗の信心に理解をもたない人達が多くいます。信心に理解をもたない人が「三類の強敵」です。特に理解を示さないかわりに、信心することを邪魔する人達です。「三類の強敵」は私達の成仏における大事な修行材料になり、身心を鍛え磨く要素…
『御講聞書』に、 「今末法に入りて上行所伝の本法の南無妙法蓮華経を弘め奉る。日蓮世間に出世すと云へども、三十二歳までは此の題目を唱へ出ださゞるは仏法不現前なり。此の妙法蓮華経を弘めて終には本法の内証に引き入るゝなり」(御書1844) と仰せ…
「横難横死」は「横難」が邪に襲ってくる突然に思いがけないところからの難であり、「横死」が不慮の非業の死であります。この「横難横死」は世間の一般論では理解しにくい、「正法誹謗」という仏様が説かれる御指南によって理解できます。私達の記憶にない…
「煩悩」とは、私達の身心に一生涯付きまとう煩わしいものであり、生活の中で共に付き合っているわけです。私達の心を思い煩わせ悩ませる存在が「煩悩」です。御本尊様に御題目を唱えれば、「煩悩」が薪となって私達の生活を明るく照らします。『御義口伝』…
「六道輪廻」とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天を六道といい、輪廻とは輪のように廻りめぐることです。つまり、六道をグルグル廻る生活です。 日蓮正宗の信心は、「六道輪廻」の生活から逃れることが出来ます。更に上の四聖といわれる、声聞・縁覚・菩薩…
『御義口伝』に、 「毒気深入(どっけじんにゅう)とは権教謗法の執情(しゅうじょう)深く入りたる者なり。之に依って法華の大良薬を信受せざるなり。服せしむと雖も吐(は)き出だすは、而謂不美(にいふみ)とてむま(美味)からずと云ふ者なり。今日蓮等…
日蓮大聖人は『上野殿御返事』に、 「今の時、法華経を信ずる人あり。或は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はも(燃)へた(立)つばかりをも(思)へども、とを(遠)ざかりぬればす(捨)つる心あり。水のごとくと申す…