この主張は、創価学会の「ご都合主義」による思いつきの邪説であり、「一閻浮提総与」の意味を歪曲した邪義です。
本宗においては御本尊の大権は、唯授一人血脈付法の御法主上人にのみ具わっており、このことは一貫して不変のものです。「一閻浮提総与の大御本尊」とは、「全世界の人々が信受すべき御本尊」との意味であって、民衆が御本尊の権能を持つということではありません。
そもそも「従来」と「現在」の時間的な立て分けは何を根拠にしているのでしょうか。第六十五世日淳上人はかつて、「宗門は長い間宗門護持の時代であったが、今後は流通広布の時代と定義されるであろう」(淳全 一六二〇頁 取意)と述べられてましたが、これは妙法流布の相を区分されたものであって、御本尊の権能や僧俗の立て分けを述べられたものではありません。
創価学会では、十数年前に「御法主上人の御もとに、日蓮正宗の伝統法義を確実に体していくことを、不動の路線とする」(広布と人生を語る 三-二七一頁 取意)と発表しながら、破門されるや、「今日はその時代ではない」などといって、簡単に「不動の路線」を変更しています。
学会では「不動」という言葉のもつ意味がわからないのでしょうか。
ともあれ、このような学会の主張を「詭弁」というのです。
