正林寺御住職指導(H26.7月 第126号)
現在、不自由なく幸せな生活ができていても、時として何かが災いし明日にでも我が身が貧しくなる可能性を秘めた世の中が末法の現代に生きる私たちの立場であります。
現実に身が貧しくなるということは、お金がなくて貧しい生活をしなくてはならない状態や、病気で体が弱り身体が衰えるということです。
もし、現実に身が貧しくなった時には、その貧しさに嘆くことなく、信心で貧しさを克服して、まずは前向きな気持ちで明るく生きていけるように心を維持していくことが大切であります。
第二十六世日寛上人は『松任治兵衛殿御返事』に、
「かならず、かならず身のまづしきことをなげくべからず。ただ信心のまづしき事をなげくべけれ」(金沢法難を尋ねて 84頁)
との金沢法華講衆に宛てられたお手紙において御教示であります。身の貧しさを嘆くよりも信心の貧しさを嘆くように心がけて行くことが大事です。信心が貧しくなれば、身の貧しさを克服するための術を失うこととなります。そのために信心が貧しくならないように日々の仏道修行が生活の中には欠かせません。
信心が貧しくなるとは、どのようなことでしょう。御本尊に向かって数珠を掛けて手を合わせることができなくなること。知恩報恩を忘れて勤行や題目を唱えなくなる姿のことです。御本尊へのお給仕を疎かにすることも信心が貧しい証拠です。さらには、寺院への参詣や本門戒壇の大御本尊在す総本山への登山が大事であると思えなくなる気持ちが信心の上では貧しいことになります。
もし、少しでも信心の貧しさに当てはまる気持ちがある場合は、すぐに反省して信心の貧しさを悔い改めるべきであります。
悔い改めて信心を中心とした生活を基本としていけば、御本尊から御加護を頂いた人生を過ごしていくことが叶います。
しかし、悔い改めることなく信心の貧しさを顧みずに、雪山の寒苦鳥のように眼前だけの幸せに翻弄されたり、身の貧しさに嘆くばかりの生活を過ごせば、さらに身の貧しい人生が未来にあることを忘れてはならないでしょう。
真の天下泰平国土安穏には、依正不二の原理に基づいた、多くの人々が身の貧しさを嘆かずに、雪山の寒苦鳥のような生活スタイルを改めて、信心の貧しさに気が付くことにあります。そして信心の貧しさを悔い改められた世の中が現実になることにより本当の幸福が世の中に生まれます。
これからの人生において我が身が貧しさに晒されるような現実が訪れた時には、思い出し信心が貧しくならないように、信心で苦難を克服していけるよう御本尊を信じて有難いお力を頂きながら、しっかりと手に数珠を掛けて祈るところ身の貧しさを乗り越えていくことができるでしょう。
